なぜビジネス経験0だった僕が、複数の肩書きを持つ「パラレルワーカー」になれたのか?

はじめまして。「歌うWEB講師ゆうとりん」こと、佐々木 優斗(ささき ゆうと)です!

僕は今、生まれ育った岩手県に住みながら、パラレルワーカーという働き方で活動しています。

「パラレルワーカー」とは、“複数の収入の柱”を持ちながら働く働き方(=複業)のこと。

なので、決まった“肩書き”はありません。

ただ、肩書きがないままだと自己紹介がしずらいので、様々ある肩書きの中でも、特に今の自分が好きだと感じている

「シンガーソングライター業」「WEB講師業」をかけ合わせて、「歌うWEB講師」と名乗って活動しています。

ちなみに、今の僕が仕事としてできることは下記の通りです。

【今の僕にできること】(=お金を頂いた経験があるもの)

  • シンガーソングライター
  • WEB講師
  • 複業(副業)・起業サポート
  • ブロガー
  • ホームページ作成
  • オウンドメディアの構築
  • 広告収入の作り方アドバイス
  • SEOライティング
  • WordPressサポート
  • SNS活用・集客サポート
  • WEBマーケティング
  • ブランディング
  • メルマガ・LINE(DRM)
  • オンラインサロン運営
  • イベント企画・運営
  • 動画作成・編集
  • ポスター、チラシの作成
  • 作詞・作曲
  • レコーディングサポート
  • 話し方・伝え方アドバイス
  • 介護相談
  • コーチング・カウンセリング

  • 【PR】
  • 講演
  • 取材
  • 個別サポート
  • セミナー講師
  • イベント出演

などのご依頼も承っております。

>ご依頼・お問い合わせはこちら

「歌うWEB講師」と名乗って活動していると、よく「元々WEBやITに詳しかったんですか?」と聞かれることがありますが、全くそんなことはありませんし、

上記のような収入の柱になるスキルも、知識もありませんでした。

僕の前職は「介護職」。元々は「ビジネス」とは無縁の働き方をして来た人間です。

しかも、昔の僕は、人間関係を築くのが苦手で、職場の人間関係に悩み「鬱症状」という診断書をもらった経験があるほど、不器用な生き方をして来たような過去もあります…

そんな僕のような人間でも、少しずつ自分の「できること」を増やして、様々な働き方に挑戦してみた結果、今ではパラレルワーカーとして自分の名前を職業にして生きられるようになりました。

また、最近ではありがたいことに、僕の「働き方」や「生き方」について、

どうやったら優斗さんのような働き方(パラレルワーカー)が出来るようになりますか?

と、ご相談いただけることが増えて来たので、この記事では、僕の生き方や働き方について、

  • 今まで僕がどんな人生を歩み
  • パラレルワーカーとしてのキャリアを積んで来たのか?

について、かなり赤裸々にお話させていただきます。

なので、今のあなたが過去の僕と同じように

  • 自分のビジネスを持って、会社員以外の働き方にも挑戦してみたい!
  • 複業(副業)・起業に挑戦して収入の柱を増やしたい!
  • 時間・場所・お金の自由を自分で決められる働き方をしてみたい!
  • 自分の名前(ハンドルネーム含む)で活動できるようになりたい!
  • 自分らしさを発揮できる情報発信を通じて、人生をより良いものにしたい!
  • 在宅での収入源を作って家で働けるようになりたい!
  • パラレルキャリアに挑戦し、自分の可能性を広げたい!

という状態なら、特に参考にしていただけるんじゃないかな?と思います^^

僕の歩んできた道のりが、何か一つでも、あなたの「こうなりたい」という「想い」を叶えるための、ヒントになれましたら幸いです。

目次

「歌うWEB講師・ゆうとりん」こと「佐々木 優斗」のプロフィール

  • 名前:佐々木 優斗
  • あだ名:ゆうとりん
  • 生年月日:1989.3.8生まれ
  • 出身地・居住地:岩手県
  • 家族:妻、息子、息子
  • 好きな食べ物:ソーセージ
  • 苦手な食べ物:冷やし中華
  • 性格:陽キャに憧れる陰キャ

「歌うWEB講師」を名乗り、主に「シンガーソングライター×WEB講師」として活動をしています。

シンガーソングライター活動

講師活動

上記動画に関する詳細は、下記の記事でもご紹介しています。

「働く」は=生きるために“やらなければいけないもの”だと思っていました

田園風景が綺麗な僕の地元@岩手県

僕は岩手県で生まれ育ち、今でも岩手県に住んでいる生粋の岩手県民です。

実家は農家で、 僕が高校生になる頃までは携帯の電波も入らなかったような、超ど田舎にあります。

会社員として働いていた両親からは、「大人になったら、安定的な収入が得られる職場に就職しなさい」という教育を受けて育ちました。

ちなみに、毎日仕事からぐったりと疲れた様子で帰って来る両親の姿を見ては、

「僕も大人になったら、生きるためには、仕事をしなければいけないんだな…」と、「仕事=ネガディブなもの」というイメージを抱いていました。

高校を卒業した後の僕は、手に職をつけるために介護の専門学校に進学。

介護福祉士の資格を取得しました。

専門学校卒業後には、デイサービス(通所介護サービス)の会社に就職し、「介護職」として社会人生活をスタート。

元々おじいちゃん子だった僕にとって、高齢者の方々と生活を共にしながらお給料をいただける介護の仕事は、楽しいものだったんですが、

当時の僕にとって、介護の仕事はライスワーク(生きるためにする仕事)でしかなく、あまり向上心を持って取り組める対象ではありませんでした。

だから、仕事よりも遊びに熱中をしていた時間の方が多くて、お給料はほぼ飲み代に使い込んでしまうような、だらしない生活を続けているような、情けない20代を過ごしていました…

酔っ払った男友だちにキスをされている20代の頃の僕

でも、そんな20代の頃の僕にも一つだけ「夢」がありました。

それは、いつか、シンガーシングライターとしてメジャーデビューをすること!

メジャーデビューに憧れた20代

僕は、介護の専門学校に通っていた18歳の頃から音楽活動に目覚めました。

そして、社会人になってから「メジャーデビュー」という夢を掲げて、シンガーソングライター活動をはじめたんです。

本業が休みの日には、アコースティックギター1本を背負い、ライブハウスや路上で歌い歩くという活動に没頭。

本業をしながらツアーを行なっていたこともあるので、多いときには月に10本以上のライブ活動を行なっていたほど「音楽活動をしている自分」が大好きでした。

だから、僕にとっての音楽活動は、「趣味」ではなくてライフワーク(一生をかけて行いたい仕事)と呼べる存在だったんです。(今でも)

音楽活動がお金になることはほとんどなかったけど、「僕のもう一つの本業はミュージシャンだ」という意識を持って活動していました。

なので、振り返ってみれば、僕はこの頃からすでに「パラレルワーカー」として複業活動をしていたことになります。(当時は、自覚無し)

でも、令和になった今とは違い、当時はまだ複業(副業)という働き方が一般的ではなかったし、むしろ「副業禁止」の方が当たり前な世の中だったので、堂々と「音楽も仕事にしている」とは、口に出しずらい雰囲気がありました…

そんな時代背景もあったからなのか、当時の僕はミュージシャンとして活動していることを「会社の人に知られてはいけない」と思っていたんです。

僕の音楽仲間の中には、音楽活動をしていることが職場にバレて「副業禁止」を理由に、本業をクビになってしまった人もいたような時代でした

だから、本音では「介護も音楽も大好きだから、どちらも『本業』と言いたい!」と思っていたけど、世の中一般的には、この考え方が「間違っていること」のような気がしてしまい、

「介護職の自分」「ミュージシャンの自分」「別々の自分」として捉えることで、無理やり生合成を取っていました。

でも、事実を曲げて生合成を取ろうとした結果、僕の思考には“歪み”が生じていたらしく…

介護職をしているときには「俺の本業はミュージシャンだ!介護は副業だから、テキトーでも良いや〜」と思っていたし、

ミュージシャンをしているときには「俺の本業は介護だ!まだミュージシャンで飯を食えている訳じゃないから、本気を出さなくても良いや〜」と思っていました。

つまり、どちらも中途半端…(情けなすぎる!汗)

年月が経つにつれ、変なプライドと、結果を出せないことへの焦りばかりが増えて行きました。

今思えば、「もう少し柔軟に生きられなかったんだろうか?」なんて思うんですが、渦中にいるときには、自分ではなかなか気がつけないもの…

当時の僕は「堅物」というか「バカ真面目」というか、、、

まるでアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるような、なんとも生きづらい生き方をしていた不器用な人間だったと思います。

そしてある日、「介護の仕事」も「音楽活動」も中途半端にしてしまっていた「情けない自分」に気づいたときは、

ものすごく恥ずかしく、情けない気持ちになりました…

でも、あの情けない失敗があったおかげで「世間の一般常識に捉われる生き方ではなく、“自分らしい生き方”ができる人間になりたい!」と思うようになったんですよね。

でも、このときの僕まだ「自分らしい生き方」がなんなのか、全然わかりませんでした…

人生を変えた90歳の女性との出会い

20代半ば頃のこと。

「僕は、自分らしい生き方がしたい!」という想いはあるものの、その答えが分からず、人生に迷っていました…

ただただ時間と共に過ぎて行く、変わり映えのしない「色のない日常」。

不安や焦りを感じはじめた僕は、職場で出会った高齢者の皆さんに、人生相談をする機会が自然と増えて行きました。

その頃、僕がよく高齢者の皆さんにお聞きしていた質問は、

何十代の頃が一番楽しかったですか?

というもの。

きっと自分の人生を切り開くヒントのようなものを、高齢者の皆さんが歩んできた道のりの中から、見つけ出そうとしていたんじゃないかな?と思います。

この質問に対して、多くの高齢者の方が語ってくださったのは、若かりし頃のお話しでした。

「身体が元気だった20代が一番良かった。」

「子育てをした30代が楽しかった。」

「仕事が落ち着いてきた、40代が良かったね。」

若かりし頃を思い出しながら語られる全てのお話には重みがあり、20代の頃の僕にとっては勉強になるものばかりでした。

でも、その中でも特に強烈に覚えているのが、とある90歳の女性が語ってくださった次の一言です。

私は、今が一番幸せだよ

90歳の女性が選んだ人生の最高地点は、「過去」ではなく、「今」だったんですよね。

その言葉を聞いたときに「僕も、こんなカッコ良い生き方がしたい!」と思ったと同時に、お世辞にも「今が一番幸せ」だなんて言えないような日々を過ごしている自分に気がつき、情けない気持ちが込み上げて来ました…

「やっぱり、このままの人生じゃ嫌だ!ちゃんと何か挑戦しよう!!」

90歳の女性から頂いたこの一言があったおかげで、僕は「人生」に挑戦する決心ができたんです。

「自分の人生」に挑戦するために、まず選んだのは「お金を稼ぐこと」でした

何をするにしても、やっぱり「お金」は大切ですよね。

そこで僕は、自分の人生を変えるために、まず「稼ぐ」に挑戦することにしました。

といっても、介護職として「会社員」というお金の稼ぎ方しか経験をしたことがなかった僕が、「稼ぐ」をするための手段として思いたのは、「資格を取ること」だけでした。

介護業界で「稼ぐ」をするためには、資格を取るか、役職に就くかしか方法がありません。

そこで、まずは目の前の可能性に挑戦してみることにしたんです。

当時、僕がお世話になっていた職場では、資格を取れば取るほどお給料が上がる仕組みになっていたので、給料が上がる対象になっていた資格を取りまくってみたんですね。

ちなみに、当時の僕が取得した資格は下記の通りです。

  • 介護福祉士
  • 介護予防指導員
  • 社会福祉主事任用資格
  • 介護支援専門員(ケアマネジャー)
  • ※普通二種免許

    (※「普通二種免許」とは、タクシーの運転手ができる資格で、デイサービスの送迎業務の時給が上がる資格でした)

上記の資格を取得したことで、月収16万円だった僕のお給料は、最大で月収20万円ほどまで上げることができました!

でも、介護業界で収入が上がる資格のほとんどを取得してみた結果、介護業界で得られる「収入の天井」も見えてしまったんです(⌒-⌒; )

それに、業界歴数十年の先輩方にお給料を聞いてみたところ、当時の僕とほぼ変わらないような収入であることがわかり、

「介護業界にこのまま身を置き続けても、本当に良いんだろうか??」と疑問を抱くようになりました。

本業からの収入には限界があることを悟った僕は、今度は副業へのチャレンジをはじめることにしました。

会社員+副業に挑戦!

音楽イベントを主催したときの様子

僕が挑戦した副業は、カメラマンイベンターのお仕事でした。

カメラマンの仕事では、結婚式や学校の行事撮影に行き、日当1万円ほどの収入を頂いたり、動画編集のお仕事を頂いて稼いでいました。

イベンターとしての副業の方は、僕がシンガーソングライターとして地元で活動をしていたので、そこで繋がったミュージシャンの方々とコラボライブイベントを開催し、チケット代から副収入を得るという稼ぎ方です。

(【プチ自慢】:100回以上のイベントを主催させていただいた経験があります)

ここまでの話を聞けば、まるでバリバリと副業で稼いでいたように感じられたかもしれませんが、実際のところは、カメラマンの仕事もイベンターの仕事も、「収入」というよりは「お小遣い」というレベルのものばかりで、

働いても働いても、まとまった収入になることはありませんでした…

それに、この働き方は「労働」の対価としてしか収入を得られなかったので、複業(副業)をすればするほど、自分の「自由な時間」が無くなって行くという問題点がありました。

人生の可能性を広げるためには、お金が必要!

だけど、好きなことをするための、自由な時間もほしい!

欲張りなのかもしれないけど、そんな風に考えるようになった僕は、

次に、時間の自由が手に入る働き方はないんだろうか?と思うようになり、

「在宅 副業 おすすめ」のようなキーワードで、「在宅副業」についての情報を調べてみることにしたんです。

「億り人」に憧れて、在宅副業にチャレンジ!

当時使っていたPC
当時使っていたPC

僕が副業に興味を持ち始めたのは、2018年頃のこと。

2018年は、政府による「働き方改革」が発令され、「副業」が解禁になった副業元年の年でもあります。

ネットを開けば、「PC1台で、場所にも、時間にも、お金にも縛れない!自由な働き方を叶えましょう〜(キラキラキラ)」という魅力的なキャッチコピーが至るところにありました。

様々ある副業の中でも、特に「仮想通貨」が大ブームで、

たった1年足らずのうちに「1億円」以上稼いでしまうような人がポロポロと誕生していました。(そう見えた)

そして、そういう人は「億り人(おくりびと)」と呼ばれ、人々の憧れの存在になっていたんですよね。

かくいう僕自身も、そんな「億り人」に憧れを抱いた中の一人。

仮想通貨ドリームを狙って、仮想通貨にも挑戦してみたことがあります。

…でも、現実はやっぱり甘くなくて、仮想通貨ではほとんど稼ぐことができず、あっという間に挫折してしまいました(⌒-⌒; )

在宅で収入を得るなんて、やっぱり不可能なのかな…

なんて諦めかけていたとき、たまたま目にしたネットの記事に、僕は“活路”を見出したんです!

それが、次のひとこと。

ご存知ですか?仮想通貨ブロガーは、仮想通貨よりも、実はブログからの収入で稼いでいるんですよ。

「ブログが仕事になる」だなんてことを全く知らなかった当時の僕にとって、この情報はかなり衝撃的だったことを覚えています。

だって、「ブログだったら、僕にもできそう!」と思えたから!(←きっと、単純な性格なんだと思います。笑)

そこでさっそく、ブログについての勉強を始めることにしたんです。

ブログではじめて「10円」を稼いだときの感動は一生忘れないと思う

当時使っていたPC

ブログの勉強は、見慣れないIT業界の専門用語について調べてみることから、少しずつ手探りで始めて行きました。

そして、少しずつ、少しずつ 、学びを深めたことで、なんとかWordPressと呼ばれるブログソフトを使って、ブログの立ち上げまでは自力でたどり着くことに成功しました!

ただ、そこから先は「何をどう書けば、ブログが仕事になるのか??」ということが全く分からなくなってしまい、たった2ヶ月ほどで再び挫折しました(⌒-⌒; )

(この記事だけで、もう何回「挫折」と言っているんだろうか。苦笑)

でも、やっと辿り着いた「ブログ」という希望を諦め切れなかった僕は、ネットで検索をして、ブログを教えてくださる方を見つけサポートを依頼!

そして、その選択のおかげで、毎月少しずつブログからの収入が入るようになって行き、4ヶ月後には、月収5万円ほどの収入を手にすることができました♪

しかも、ブログからの収入というのは、「労働収入」ではなく、僕が他のことをやっている間にも収入を生み出し続けてくれる「広告収入」という仕組みだったので、

初めて「時間」から解放された、収入の得方を体験することができたんです!

会社員としてしか「働く」をした経験がなかった僕からすると、初めて自分の力でブログから広告収入を得たときの“あの喜び”は、それはそれは嬉しいもので、

最初に自分の力で稼いだ「10円」を得たときの感動は、きっと一生忘れないと思います。

それくらい、本当に嬉しかった。

「このまま上手くいけば、想い描いた『時間に縛れない働き方』を叶えることができる!」

そう確信した僕は、より一層ブログの勉強に力を入れて行きました。

ただ…

実はこの頃、副業は上手く行き始めていたものの、僕の私生活は最悪なものになっていたんです…

サイコパスおばさんのいじめを受けて「鬱症状」になりました…

当時、僕は小さな介護施設で働いていました。

会社自体はとても良い環境だったんですが、スタッフの中に一人だけ、影で「サイコパスおばさん」というあだ名を付けられていたほど、感情の起伏が激しいお局さんがいらっしゃって、

このサイコパスおばさんに目をつけられたスタッフは、「いじめを受けて次から次へと職場を離れて行く」という、恐ろしい現象が起きていたんですよね…

そして、ついにある日。

その矛先が僕にも向けられてしまったんです…

役職の関係上、サイコパスおばさんから逃げることが出来ないポジションにいた僕は、日々嫌がらせを受ける中で、気持ちがかなり落ち込んでしまい、

最終的には病院で「鬱症状」という診断書をもらってしまうほどになりました。

会社に行こうと思っただけでも恐怖で足が震え、立つことすらままならない状況になってしまったので、辞表を出して職場を離れることを決意。

「介護」という仕事は大好きだったし、まだまだ介護職を通してやりたいこともありました。

それに、専門学校にまで通い、多くの時間とお金をかけて積み上げてきた「介護の資格とスキル」だって、もったいなかった。

でも、あの頃の僕には、どうしても「続ける」という選択はできなかったんですよね…

ちなみに、このときの僕には「生後半年の息子」と、「30年ローンで建てたばかりの持ち家」がありました。

突然断たれてしまった「会社員」という唯一の収入源。

この経験で、未来に対しての深い絶望感を味わった僕は、たった一つの収入の柱にすがる働き方は危ういということを、身をもって経験しました。

ちなみに、別の介護施設に転職をして、「再び介護の仕事をする」という選択も考えましたよ。

でも、「どこに行ってもまた同じような怖い経験をするのではないか?」なんて考えてしまったため、介護業界からは離れることを決めたんです。

さて、そうなって来ると、もう当時の僕にとって、残された「働き方」は、そのときに月収5円ほど稼ぐことが出来ていた「ブログ」だけです。(当時はそのように、思えた)

そこで、一念発起し、背水の陣状態でブログにフルコミットすることを決意したんです。

あのとき、「やりたいことをやったら良い」と背中を押してくれた妻には、本当に感謝しています。

だって、「生後半年の息子」と「30年ローンで建てたばかりの持ち家」がある状態の一家の大黒柱が、突然「俺は、ブロガーになる!」だなんて言い出したんですよ。

普通に考えれば、正気の沙汰とは思えません。(笑)

今でこそ、YouTuberやインスタグラマーという「ネットで稼ぐ」という働き方が当たり前になって来たけど、当時はまだまだ「夢物語」か「詐欺」なんじゃないか?と言われていた時代でしたからね〜

もし、僕が逆の立場だったら、きっと「もう少し、職場探ししてみない?」と提案したんじゃないかなと思います。

妻からのもらったエールに応えたい!と思った僕は、本気で「ブログ」という働き方にチャレンジしました。

ブログがきっかけで見出した「パラレルキャリア」の可能性!

はじめてセミナー講師をしたときの様子

人間、本気になればなんとかなるものですね…

会社を辞めて「ブログにフルコミットをする!」と決めた僕は、その2ヶ月後には、ひとまず介護職時代と変わらないほどの収入をブログから得ることに成功しました♪

そして、そのときの様子を、当時運営していた僕のブログで情報発信してみたところ、「ブログを教えてほしい!」というご依頼をいただけるようになったので、

今度は「ブログを教える」という活動をスタートしてみたんです。

すると、ありがたいことに、日に日にクライアント様が増えて行ったため、数ヶ月後にはキャリアの軸を「ブロガー」から→「ブログアドバイザー」に変更しました。

さらに、クライアント様と一緒に「ブロブに集中して取り組める環境を作りたい!」と思うようになったので、「オンラインサロン」を立ち上げ、サロンオーナーとしての活動にも挑戦。

そうしているうちに、少しずつ「肩書き」が増えていったんですよね。

オンラインサロンメンバーの皆さんと初めて集まったときの様子

またこの頃、クライアント様の中には、ご自分のブログを通して情報発信をしているうちに、お客様からのお問合せや、セミナー・講演のご依頼をもらえるようになったりする方々も出て来たので、

今度は、そんなクライアントの皆さんから「起業」についてのご相談も頂くようになったんです。

それは、「ブログ」→「起業」へと、お客さまから僕に求められるものが変わりはじめた瞬間でした。

そこで、皆さんのお気持ちにお応えしたいという一心で、マーケティングブランディングといった「ビジネスの勉強」もするようになり、起業サポーターとしての活動も開始。

さらに、一人でも多くのクライアント様の変化と進化をサポートしたかったので、今度はコーチングカウンセリング脳の使い方などといった、メンタリングについての学びもスタートしてみたりもしました。

そうこうしているうちに、

今度は、「WEBの仕事をしている」といろんなところで話していたら、「ホームページは作れる?」というご依頼をいただくようになったので、ホームページ作成事業をはじめてみたり…

企業の社長さんから「WEB集客のアドバイザーになってくれないか?」というご依頼をいただき、WEB集客コンサルタントとしても活動するようになったり…

その他にも、副業時代にカメラマンで培ったスキルのおかげで動画編集ポスター、チラシのデザインのお仕事を頂いたり…

SNS運用代行のお仕事を頂いたり…

最近では、「講演」のお仕事も頂けるようになって来たので、講演家としての活動も始めてみたり…

と、ブログに本気で取り組んでみたことがきっかけで、たった数年間のうちにパラレルワーカーとしての働き方ができるようになったんです!

いや、、、

正確に言えば、「パラレルワーカーとしての働き方ができるようになりました。」というよりも、

「パラレルワーカーになっていたみたいです!」という方がしっくり来ます。(笑)

僕は決して器用なタイプではないので、かなり遠回りもしたし(今もしてるし)、ただガムシャラに「できること(=スキル)」を増やしながら「働く」をしていたら、パラレルワーカーという働き方に辿り着いていた。という感じです。

ちなみに、僕の「葛藤の記録」はこちらの記事でもご紹介していますので、ご興味がありましたらどうぞご覧ください。

いろんな「仕事」をしているので、自分でももう「何屋さん」なのか、よくわからない感じになって来ていますが、僕は試行錯誤の末にたどり着いた、このパラレルワーカーという働き方・生き方がとても気に入っています。

だって、20代の会社員時代の僕が抱いていた「世間の一般常識に捉われる生き方ではなく、“自分らしい生き方”ができる人間になりたい!」という想いを叶えることが出来ているからです。

僕は、まだまだ不器用に生きていますが、変わり映えのしない「色のない日常」を過ごしていた昔に自分と比べてみると、

「毎日」を自分の手で彩ることが出来ている今の暮らしの方が、何倍も「生きている!」と感じるし、自分の人生に夢中になれているな〜と思います。

20代の頃は、あんなに「働く」が嫌いだったんですけどね…汗

複業(パラレルワーク)という働き方を選んだ今は、「働く」が楽しくてしかたがない毎日です^^

これからのやって行きたいこと

慰問ライブの様子

僕はこれからも、介護職時代に出会った90歳の女性から教えていただいた「今が一番幸せ!」と言える人生をテーマに、人生を楽しみながら、暮らして行きたいと考えています。

だから、どんどん「面白い景色」を見に行きたいんですよね〜^^

  • 音楽活動の方で掲げている「NHKみんなのうたに選ばれたい!」という目標も叶えたいし
  • もっと面白い仕事を作り、仲間と一緒に活動を広げてみたい!
  • それに、家族と一緒に旅をしたりしながら穏やかに暮らしたい♪

そして、当時の僕と同じように「たった1度の人生。何かに挑戦したい!」と思っていらっしゃる方をサポートすることで、【イキイキ生きる大人を増やしたい!】という想いがあります。

元々は「働く」が嫌いで、うだつの上がらない会社員だった僕でも、サポートを受けてブログに挑戦したことで、イキイキと生きる働き方(生き方)を手に入れ、人生を変えられたように。

今度は僕が、誰かの挑戦をサポートできる側の人材になりたいんです!

そんな想いから、すでに、今までに400名以上の方々の個人ビジネスをサポートをさせていただいて来ました。

中でも特に力を入れて取り組んでいるのが、個人ビジネス学習サロン「HOME」というオンラインサロンの運営です。

HOMEの皆さんと

HOMEは、「“自分らしさ”を活かした情報発信を通して、自分にしかできないビジネスを作る」をテーマに、

個人ビジネスに取り組む方が、「正しい情報発信」と個人ビジネスに必要となる「在り方(土台作り)」を学べる場です。

個人でビジネスをするからには、「稼ぐ」は大切にすべきポイント。

でも、実は個人でビジネスをしたい!と思ったときに、しっかり身につけておかなければいけないのは「稼ぎ方」よりも「在り方」なんですよね

そのことをちゃんと伝えている場所がなかったので、僕が作りました。

目指すは、『日本一穏やかな起業塾』

起業塾って、「オラオラ〜!ガンガン稼ぐぞ〜!稼いでる奴が一番偉いんだぞ〜!」みたいな、強いイメージがあるじゃないですか〜(偏見かもですがw)

でも、起業(複業・副業含む)を志す方の中には、僕のように「穏やかに活動を広げていきたい」と願う方もいらっしゃいます。

だから僕は、「キラキラ系」でもなく「オラオラ系」でもなく、いうなれば「穏やか系」な方々をサポートすることで、穏やかな世の中を作るお手伝いがしたいんですよね〜

(とはいえ、「やるべきことはちゃんとやる!」は大切にしています。)

実際にHOMEで“在り方”を学び、“自分らしい個人ビジネス”ができるようになった結果、会社員(副業)から→起業した方や、新しいスキルを身につけて、複業(パラレルキャリア)を始められた方がたくさんいらっしゃいます。

>HOMEの皆さんから頂いた、「喜びの声」はこちらからご覧いただけます

もしも世の中に、もっと「働く」が「楽しい」と感じられる大人が増えたら…?

きっと、そんな大人の背中を見て育つ子供たちは「働く」をする未来が待ち遠しくなると思うんですよね♪

だから、僕がやっている「働く」は、世の中の“穏やかさ”と“豊かさ”を増やすことに繋がっていると確信しているし、

それは、“僕にだからできること”だと思っています。

ちなにみ、僕は紆余曲折の末に今の場所にたどり着いていたけど、

同じように、あなたにしかできない“働く”の形も、あなたにしか歩めなかったキャリアから作り出すことが可能です。

もし「私には無理だよ」と思われたのなら、それは「無理」なんじゃなくて、あなたはまだご自分の「貴重な経験」を“キャリア”と捉え、ビジネスにしていく手段を「知らない」だけ。(キッパリ)

だって、ここまでお話させていただいたように、元々は僕も「ビジネス」とは無縁の「介護業界」で働いて来たビジネス未経験者だったんですよ。

僕もあなたも、同じ「人間」という生き物なんだから、僕にでもできたことが、あなたに出来ないはずがありません。

もし、あなたが今「自分のビジネスに挑戦してみたい!」と思っていらっしゃるんだとしたら、絶対にやってみた方が良いですよ。

ビジネスに挑戦することは、あなたの人生をより豊かにしてくれます^^

それではここまで、僕が複業(パラレルワーカー)という働き方に行き着くまでの長い記録を、最後までご覧くださってありがとうございました。

この記事(僕の体験談)が、何か1つでも、あなたの参考になれましたら幸いです。

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