▼音声でも楽しみたい方はこちら
「AIの時代に、noteを手書きする価値ってあるんでしょうか?私は『書く表現』を愛したいけれど、読者さんにこの想いが伝わるか不安です・・・」
先日、僕がサポートをさせていただいている方から、こんなご相談をいただきました。
僕も「書く表現」を愛しているので、すごくお気持ちに共感したんですよね。
ちなみに、僕はAIを全く使わないわけではないんだけれど、noteは基本的に手書きで書くようにしています。(最終チェックで、誤字の確認くらいはAIにしてもらっているけれど)
たしかに、僕が本当に手書きでnoteを書いているかどうかなんていうことは、読者の皆さんには伝わらないかもしれません。
でもね。
それでも僕は、やっぱり「書く」に体温やエネルギーをのせたいのです。
そして実際に、そのほうがnoteを通して、たくさんの仲間に出会えるという体感があるので、やり続けています。
というわけで今回のnoteでは、9年以上「書く発信」を中心に仕事を作り続けてきた僕の体験談をもとに、これからのAI時代にも、なぜnoteを手書きすることをオススメしたいのか?
僕なりのロジックを、お話しさせていただきたいと思います。
この記事が「書く表現」を楽しみたい仲間に届いたら、嬉しいです^^
僕がAI時代にnoteを手書きし続けている理由
結論からお伝えすると、僕がAI時代にnoteを手書きし続けている理由は、「本物」になりたいからなんです。
本物と、AIで生成したものの違いが、ほとんどわからなくなってきている今の時代。
何をもって「本物」とするのか?が、とてもわかりにくくなってきていると思うのですが、そんな中でも、僕の「本物」の定義はハッキリと決まっています。
それは、「LIVE」なんですよね。
本物とは、リアルタイムでもしっかり本領を発揮できる存在のことです。
この感覚は、もしかしたら僕がミュージシャンとして活動しているから身についたものなのかもしれません。
LIVEになれば、全てがバレる
音楽制作の現場でも、AIを使えば誰でもプロクオリティのコンテンツを生み出せるようになりました。
でも、LIVEではそうはいきません。
LIVEになれば全てがバレるから、本物と偽物の違いがハッキリわかります。
それは、歌唱力や演奏力だけの話ではなくて、その人から滲み出る「人間力」なども含めてです。
本物のパフォーマンスには圧倒されるものがありますが、その背景には、その人が日々積み上げてきた鍛錬があります。
そうした「背景」に人は感動し、圧倒されるのだと僕は思うんですよね。
それは「文章表現」でも同じだと思います。
普段から文章を書いている人は、「言葉の扱い力」が磨かれていくから、何気ない瞬間に使われる言葉の精度が段違いなのです。
もちろん。音楽と文章では、表現の仕方(アウトプット)が異なります。
だから、完成されたものだけを見れば、それがAIによるものなのか、人間が手書きで作ったものなのか?見分けがつきません。
でも、これって「絵画」の世界でも同じだと思うんですよね。
本物とコピーの見分けをつけるのは、とても難しいものですから。
つまりこの世界には、「わかる人にしかわからない世界」という領域が、確実に存在しているわけです。
で、こういう話を聞くと、昔の僕なら「わかる人にしかわかってもらえないくらいのものなら、別にこだわらなくても良いや〜」と思って、“手抜き”という選択をしていました。
でも、プロとして活動をするようになってから、考え方が変わったんです。
「わかる人に喜んでもらえる仕事」を選んだら
「わかる人がわかるなら、わかる人に喜んでもらえるような仕事ができるようになりたい」と思うようになったんですよね。
その結果。
文章に限らず、セミナーや講演で人の前に立って話すときも、1on1でクライアント様と対話をしているときも、「プロですね」と言っていただけることが増えていきました。
すると当然ながら、「仕事」を任せていただけることも増えて、ありがたいことにプロとして生きる道を歩み続けられるようになっていったんですよね。
こうした僕自身の体験を振り返ってみても、やっぱりこれからの時代は「本物」しか生き残れない時代になっていくのではないかな?と感じています。
あ、もちろん。AIバブルの間は、即席で作ったものでも仕事は作れると思います。まだ本物がそんなに多くないので。
でも、長くしっかり誰かに貢献できるような活動を作るためには、地味だけど大切なことを積み上げるような選択が重要だと感じています。
そして、手書きにはもうひとつ、大切な喜びがあるんです。
手書きだからこそ味わえる喜びと「好奇心」
実際に、手書きでnoteを書き続けていると、書きながらいろんなことを思考して、脳がぐるぐると動いているのを感じられます。
この感覚を味わい、愉しむことができるのも、生きているからこそ得られる喜びの一つなのではないでしょうか?
こと「集客」だと考えはじめると、効率的な手段を選ぶ方が良いように見えてしまいます。
でも結局のところ、「質」を高めるためには、やっぱり「量」は大切にして良いわけです。
そして、「量」を大切にするためには、その背景に「好奇心」が重要だと僕は感じています。
「好奇心」があるからこそ、「大好きなこと」だからこそ、繰り返し繰り返し向き合い、味わう楽しみ方ができます。
だから僕と同じように「書く」に好奇心を感じる方は、それが自分の「才能」であることを認めて、良い意味であきらめてしまえばいい。
「AI時代に、手書きでの発信をしても意味があるのかな?」なんてことには脇目もふらずに、楽しんだら良いのではないかな?と思ってしまったりします。
だって・・・
「書く」が好きな僕らは、堂々と変人の道を行きたいじゃないですか
いつの時代も「天才」と呼ばれる人たちは、「普通」とは違うことをしている「変人」なのですから。
時代が「AI」に流れるのが普通なのであれば、「書く」が好きな僕らは、堂々と変人の道を行きましょうよ。笑
「普通と違う」って、集団の生き物である人間にとっては「怖さ」を感じることなんだけど。
でもその先で、「あの人は普通とは違うね」と言われるようになり、求められる存在になっていけます。
とはいえ、「変」にも色々ありまして。
事件を起こしちゃうような「危ない人」という意味じゃなくて、たとえば「芸能人」や「スポーツ選手」みたいな「希少な人」も、「変な人」なわけですよね。
そういう健全な「変な人」になっていくためには、自分の中にある「好奇心」を愛して、解放してあげることが大切。
その先には、「この人生。なかなか楽しいぞ」と感じられる未来の可能性が、豊かに広がっていくのだと僕は思うんですよね。
というわけで、少し話が広がり過ぎましたので、まとめていきますね。
まとめ
僕がAI時代に手書きでnoteを書き続けている理由は、「本物になりたいから」。
そしてそれと同時に、僕という人間だからこそ感じられている「好奇心」を大切にしながら、この人生を味わい尽くしたいからなんですよね。
そこに対して、他人からの「AI時代なのに、効率悪いことしてるね」みたいな言葉は、全くいらないわけです。「あっちいけ!」って感じ。笑
僕らは、「大好きなこと」をやっていきましょうよ。
僕はこれからも「書く表現」とこの人生を楽しみながら、共鳴する仲間と一緒にご縁を広げていきたいなぁと思っています。

