僕が音楽活動をはじめた経緯①〜高校時代編〜

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この記事を書いている僕は今、32歳。

もうかれこれ14年くらい、「シンガーソングライター」を名乗って活動しています。

(計算してみたら、ひょえーー!となった。長っ。笑)

「シンガーソングライター」としての僕は、もはや僕を構成する大切な要素の一つになっているので、これから先もシンガーソングライターという自分をやめる気は全くないし、というか、やめられないと思っています。

だって、僕の中にある「シンガーソングライター」は、僕の身体の一部であり、人生の一部になっているから。

で、ありがたいことに、よく「なんで音楽活動をはじめたんですか?」なんて聞いていただけることがあるので、このブログに僕が音楽活動をはじめた経緯をまとめておこうかなと考えました。

もしあなたが、「シンガーソングライター」としての僕に興味を持ってくださっているのなら、

この記事は、ゆったり、まったりしたい気分のときに、本を読むような感覚で読み物として楽しんでいただけたら嬉しいです。

目次

X JAPANが好きな親友に、なぜか「ゆず」を弾け!と言われて始めたギター

高校2年生の頃だったと思う。

当時同じクラスで仲良くなった尊之(たかゆき|@Eternaltakayuki)と出会ったことがきっかけで、僕はギターを始めました。

彼は、X JAPANの大ファン。

彼の家に遊びに行くと、いつも大音量でX JAPANが流れていたことを覚えています。

ただ正直、僕はあんまりX JAPANに興味がなかったので、尊之からX JAPANの話を聞くたびに「ふ〜ん」と、素っ気ないリアクションをしていました。(尊之、ごめんよ。笑)

でも、当時の僕には、「趣味」と呼べるような熱中できるものが何もなかったので、

X JAPANについて熱く語っているときの尊之が、キラキラして見えて、それはちょっぴり羨ましかったりもしたんですよね。

彼の部屋には、ギターやベース、ドラムまであって、そこはまるで音楽スタジオみたいな空間。

そんな場所に入り浸るようになっていた僕は、だんだん「(音楽って、なんか面白そうだな・・・)」とは思えるようになってきて、

X JAPANには最後まで興味を持てなかったけど、次第にギターには興味を持つようになっていきました。

「ねぇ。おれにもギターを教えてよ!」

と、彼に僕の方から積極的に声をかけたのかどうかは、もう昔のことすぎて、記憶が定かではないんだけど、

彼の部屋にあったアコースティックギターを触らせてもらったことがきっかけで、僕のギター人生がスタートしました。

ちなみに、僕が一番最初に弾いた曲は、ゆずの「サヨナラバス」でした。

尊之は、X JAPANも好きだけど、ゆずも大好き!というジャンルに偏らない音楽好きだったので、僕が最初に弾く1曲にサヨナラバスを提案してくれたんです。

んん・・・ちょっと待てよ。

「提案してくれた」のではなく、「ギターデュオやってみたいから、優斗もサヨナラバス弾けるようになって!」とちょっと強引に勧められたような気もするな・・・(笑)

まぁ、このあたりの「順番」も記憶が定かではないんだけど、なにはともあれ、僕のギターデビューは尊之がオススメしてくれたサヨナラバスから始まりました。

ギターを弾けるようになった今なら、サヨナラバスがギター初心者向きの曲であることが分かるけれど、

やっぱり最初はすんごく難しくて、大苦戦したことを覚えています。

一番苦戦した記憶として残っているのは、「Fコード」が抑えられなかったこと。

「Fコード」って、ギター初心者が一番最初にぶつかる大きな壁とも言われていて、このコードが抑えられないと曲が弾けないという強敵なんですよね。

「Fコードなんて簡単だよ〜。ほれほれ〜こんな感じでジャ〜〜〜ンと弾けば良いんだよ〜。ジャ〜ン♪ジャ〜ン♪」

指先の痛みに耐えながら必死にFコードの練習をする僕の横で、尊之先輩はおしりをフリフリ振りながら、Fコードをかき鳴らしていたことをよく覚えています。

あれ、めっっっちゃ悔しかった。(笑)

Fコードは、人によっては数日〜数週間練習しないと抑えられないものらしいんですが、

僕は、お尻をふりながらFコードをかき鳴らす尊之先輩の姿が、あまりに憎たらしかったおかげで、たった1日でFコードをマスターすることが出来ました。

あのお尻に感謝。

ボランティア活動でライブデビュー

徐々にギターが上達した僕は、尊之とギターデュオの真似っこが出来るくらいのレベルになっていきました。

ちょうどその頃。

障害者施設の夏祭りボランティア(だったと思う)で行う出し物の一つとして、初めて人前で歌を歌う機会を頂き、ライブデビューをしました。

間違いなく下手くそな演奏だったけれど、施設の方々に喜んでいただけたことが、すごく嬉しかったことを覚えています。

「あぁ・・・音楽って面白いなぁ」

僕は、ライブデビューという階段を一つ登ったことで、益々音楽の魅力にハマっていきました。

その後も、ボランティア活動を通して、いろんな場所で歌わせていただいたり。

高校の文化祭では、175Rのカバーバンドを組んでバンドデビューもしたり。

175R、懐かしいな〜。

175Rが創るライブの世界観に、大きな憧れを抱きました。

そうそう、ちなみに僕が「ミュージシャンが好き」と感じるポイントは、昔も今も、“世界観”の部分。

だから、僕は14年も音楽やっているとはいえ、自分でもびっくりするほど音楽を知らない。

音楽好きな人の中には、好きなミュージシャンの経歴や、使っているギターについての情報を「君は、wikiぺディアか!」とツッコミを入れたくなるほど詳しい人がいるけれど、

ああいうのって、本当にすごいな〜って思うし、僕にはできない。

例えば、ラジオのDJをやっているミュージシャンの方は音楽に詳しい人が多いから、「今日は僕の大好きな1曲を紹介するぜ〜」なんてよくやっているけれど、そういうことは、僕には絶対にできない自信がある。(どんな自信だよ笑)

僕は、歌詞の意味を紐解いたり、ミュージシャンの経歴を知ることで、そのミュージシャンの方が観ている世界観を味わったり、

ビジネスとしての魅せ方を研究して、どんなマーケティングやブランディングを組んでいるのか?という部分を観ていくことの方にワクワクするんですよね〜。

ちょっと変わってるかなぁ?(笑)

まぁ、こうしたモノの見方が、パラレルワーカーという今の生き方にも、繋がって来ているのではないかな?と思っています。

下心で始めた吹奏楽で「金賞」を取っちゃったっていう話

ギターをきっかけに音楽がどんどん好きになっていった、高校2年生の頃。

僕には好きな女の子がいました。

高校時代、僕は生徒会活動もしていたんだけど、同じ生徒会役員として活動していた1つ年上の先輩のことが好きになったんです。

その先輩は吹奏楽部の部長も務めていて、部員が足りないことに日々悩んでいる様子だったので、

先輩のことを助けたくて、僕は吹奏楽部に所属することを決意しました!

といっても、まぁ、、「助けたい」というのは上部で、ただ近づきたかったという下心から入部することを決めた。というのが事実です。(暴露)

僕が通っていた高校は、花巻東高校。

大谷翔平選手や、菊池雄星選手が育ったことで有名な、あの野球が強い高校です。

花巻東高校は、野球部だけではなく他の運動部にも力を入れていたので、スポーツが盛り上がっているような環境でした。

ただ、当時、文化部はあまり活躍できていなくて、

特に吹奏楽部は、いつも地区大会で負けてしまうようなレベル。

そこで、学校側が「文化部にも力を入れて行こうー!」という方針になり、吹奏楽部に外部の講師が新しく就任した。というタイミングだったので、

「これから吹奏楽部を盛り上げて行きたい!けど、、人手が足りない。。」

ということで、先輩は悩んでいたんですよね。

で、そんな危機的状況で僕が入部を決意したもんだから、彼女からはすごく喜んでもらえました。うしし(←下心の塊)

「もっと彼女に喜んでほしい!」

と思った僕は、ギターを教えてくれた尊之や、他の友人たちをどんどん巻き込んで吹奏楽部に勧誘w

5人ほど部員を増やしました。我ながら優秀なスカウトマンだったと思います。ドヤ。

ただ、僕が誘った人たちは全員、超音楽素人。

僕をはじめ、みんな楽譜なんて読めなかったので即戦力になんてなる訳もなく、

僕らは、とりあえず「簡単そう」という理由だけから、打楽器の練習をはじめました。

でも、打楽器って、赤ちゃんでも音が出せる楽器だからこそ、実はかなり奥が深くて。

その後、僕らは知れば知るほど、打楽器の奥深さにハマっていくことになります。

その結果、最初は下心で入部を決意しただけだった吹奏楽部での活動が、純粋に楽しくなっていったんですよね!

そして、僕たち超音楽素人だけで打楽器四重奏チームを組み、大会に出場することになり、

黙々と練習した結果・・・

なんと!!地区の大会で「金賞」を取ることが出来ちゃったんです!!!

いつも地区大会で負けてしまっていた高校の吹奏楽部が、金賞を取ることは超快挙!

しかも、超音楽素人だけで構成されたチームが、です。

あの時は本当に嬉しかったですね〜

・誰かと一緒に、音を重ねること。

・誰かと一緒に、喜びも辛さも分かち合えること。

「仲間」の大切さを学ぶことができた、出来事にもなりました。

吹奏楽部ではギターを弾くことはありませんでしたが、今まで趣味でなんとなくやっていた「音楽」を、はじめて突き詰めることが出来た経験になったため、

このときの経験が今、シンガーソングライターとして曲や音を作ることに活きていると感じています。

そうそう。ちなみに、そのとき好きだった女の子とはその後どうなったのか?というと。

彼女は、僕の奥さんになりました。

音楽をやっていなければ、もしかしたら妻とも結婚していなかったかもしれない。

そんな風に考えてみると、感慨深いものがありますね〜。

という訳で、「僕が音楽活動をはじめた経緯①〜高校時代編〜」はここまで!

次回、「僕が音楽活動をはじめた経緯②〜専門学校時代編〜」では、僕が路上やライブハウスで歌い「シンガーソングライター」を名乗るようになったきっかけのお話をお送りします。

もし、この記事のご感想がありましたら、次の記事に行く前に、記事下のコメント欄へご投稿いただけたら嬉しいです^^

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