僕が音楽活動をはじめた経緯③〜会社員時代編〜前編

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第3回のこの記事まで、読み進めてくださっているあなたへ。

貴重なお時間を使って、僕の音楽人生ストーリーをご覧いただき、ありがとうございます^^

第2回の前回は、僕がストリートミュージシャンとして活動し始めた経緯について、お話しさせていただきました。

当時、僕が通っていた介護の専門学校の更衣室に置いてあった、1本の「謎ギター」。

その謎ギターとの出会いから始まった、僕のストリートミュージシャン活動は、とても刺激的な毎日を与えてくれました。

しかし、音楽活動を始めたことで「自分は特別なことをしている人間だ」という、身に余る“勘違い”をしてしまった20代の僕は、身近な人たちのことを下に観るようになってしまい、

気がついたときには、嫌われ者になりました…

ねじ曲がったモノの見方をしてしまっていた専門学校時代は、僕にとって良い記憶が少ない暗黒時代。

卒業後の僕は、デイサービス(通所型介護サービス)に就職し、社会人としての一歩を踏み出していくことになります。

そして、音楽活動を通して人生を変えるような、ある「大きなコト」に出会うのですが…

という訳で、第3回の今回は、社会人になり変化していく僕の会社員時代編(前編)についてのお話しです。

どうぞ、今回もゆったりまったりしながら、ご覧いただけたら嬉しいです^^

↓第2回「専門学校時代編」のお話はこちら↓

目次

人生を変えた「大きなコト」との出会いについて

「大きなコト」の正体について、まずはさっさとお話しさせていただきますね。

社会人になってからの僕が、音楽活動を通して出会った「大きなコト」の正体は、「ブレーメン」という名前のアコースティックイベントです。

ブレーメンは、僕が主催を努めた弾き語りに特化した音楽イベントで、約10年間に渡り、50回以上開催してきました。

ブレーメンを主催していく中で、僕は多くのことを学ばせていただき、人生レベルで成長させていただけたと感じています。

なぜなら、ブレーメンとの出会いは、嫌われ者だった僕が人間的に変化と成長をすることが出来た、きっかけの物語でもあるからです。

昨日の敵は今日の仲間

20代の頃の僕は、他人のことを下に観る悪いクセがあり、周りから嫌われていました。

きっと、他人を下に置かないと、自分を高く観ることが出来なかったからなのかな、と思います。

本当に、アホんだら野郎です。

特に才能がある同年代ミュージシャンが身近にいると、負けたくない気持ちが強くなりすぎて、闘争心が剥き出しになっていました。

そんな感じで、僕がMAXトゲトゲしまくっていた頃。1人のシンガーソングライターに出会いました。

彼の名前は、菅野創一朗(@soichiro_kaeru)。

僕と同じ岩手県で活動をしていた、同い年のシンガーソングライターです。

独特な歌詞。綺麗な歌声。不思議な世界観。そして、愛されキャラ。

彼は、僕にはない羨ましすぎる才能を沢山持っているように見えました。

どう頑張っても勝てる気がしなかった彼の才能に対し、僕は激しく嫉妬し、

そして…

嫌いになりました。(←幼稚すぎw)

でもこのときの僕はまだ、その後、菅野創一朗と一緒に、音楽イベント「ブレーメン」を主催して行くことになろうだなんて、知る由もありませんでした。

小さなお店の変なマスター

「お前ら(菅野と僕)、うちの店で毎月レギュラーでライブイベントを主催してみないか?」

そう声をかけてくださったのは、当時盛岡にあったハガクレというお店のマスターでした。

ハガクレは、15人ほどのお客さんが入れば、ギュウギュウの満員電車状態になるような小さなBAR。

ライブハウスや、ライブバーではなく普通のBARです。

ただ、マスターが音楽好きだったので、よくライブイベントが開催されているようなお店でした。

しかも、ときには有名ミュージシャンがライブをしたり、お忍びで飲みに来たりもするようなお店だったので、

当時の僕にとって、ハガクレは「いつか、ここでライブがしたい」と思っていたほどの憧れのお店でした。

そんな憧れのお店のマスターから、「うちで、毎月ライブイベントを主催してみないか?」なんて声をかけていただけたもんだから、そりゃ〜嬉しかったことを覚えています。

気分としては、まるでTVで自分のレギュラー番組が決まったかのような感覚ですよ。

でも、一つだけネックだったのが…

なぜか僕が嫌いだった“菅野創一朗と一緒に主催をしなければいけない。”という条件があったこと。

「ナゼ、菅野ト一緒ナノダ…」

とは思いましたが、二度と無いチャンスだと思った僕は、ライブイベントの主催を務めることを決意。

菅野創一朗と一緒に、ライブイベントの主催をすることにしました。

これが、僕の人生を変化させるきっかけになった、「ブレーメン」という音楽イベントが生まれた瞬間です。

それにしても、マスターはなぜ、音楽性も性格も真逆の菅野創一朗と僕をくっつけようと考えたんだろう??

気になりすぎて、後日マスターにその理由を聞いてみたところ、

「なんとなくだよ。真逆がくっついたら面白そうだろ。」と教えてくださいました。

どうやらマスターは、真逆の僕らが一緒にイベントを主催することで、化学反応みたいなものが起きると感じとっていたようです。

一見すると、水と油のような僕らを混ぜようと思ったマスターは、やっぱりちょっと変なマスターだったと思います。

でも、そんなマスターがいて下さったおかで、僕の音楽活動人生は拓かれて行きました。

チャンスを下さったマスターには、今でも感謝しかありません。

ガムシャラだった向こう側に

菅野創一朗と僕は音楽活動とは別に仕事をしていたし、ましてやライブハウスの店員でもなかったから、イベント主催に関するノウハウなんて何も知らなくて、

毎月1回ライブイベントの主催を務めていくというスケジュールは、時間的にも体力的にも、精神的にもなかなか大変なものでした。

しかも、「できれば話したくない」とすら思っていた菅野創一朗と打ち合わせをするためには、頻繁に連絡を取らなければならないというストレスも。。

だって、苦手な相手と毎日のようにLINEをしたり、電話をかけたりしなければいけないんですよ。

それはそれは、とても大きなストレスです。。

しかも、LINEや電話だけだと出来ない内容の打ち合わせもあるから、“しぶしぶ”毎週末のように2人で飲みに行ったり(あれ?)

ときには、“しぶしぶ”お互いの彼女を連れて一緒に旅行に行ったり(あれれ!?)しながら、

僕らは多くの時間を共有し、四六時中ブレーメンをもっと良いイベントにするために、日々頭を悩ませていました。

…はい。もうお気づきですよね?

「嫌い」なんて言っていた菅野創一朗と僕は、ブレーメンを主催していく中で、あっという間に大親友になりました。

嫌われ者だった僕に出来た、愛されキャラの大親友。

彼と一緒にブレーメンを毎月主催していく中で、僕は彼から大切なことを沢山教えてもらったし、彼との出会いから、さらに良い出会いが膨らんでいくような嬉しい感覚がありました。

ここでちょっとだけ余談なんですが、菅野創一朗が僕の結婚式で友人代表スピーチをしてくれたことは、僕にとって一生の良い思い出になっています。

別れと旅立ち。まさかの閉店。

毎月音楽イベント「ブレーメン」を主催するようになり、1年が過ぎようとしていたときのこと。

菅野創一朗と僕に、ブレーメンを始めるきかっけを下さったお店「ハガクレ」が、店を閉じることになりました。

ハガクレのマスターは、僕らに毎月のイベント開催を提案したとき、

「ブレーメンが終わるのは、お前ら(菅野創一朗と僕)のどっちかがメジャーデビューするか、この店が閉じるときだな〜。まぁ、店が閉じることだけは絶対にないけどなー!!ガハハハ」

なんて約束してくれたはずだったのに。。

まるで本物の「ブレーメンの音楽隊」のストーリーになぞらえるかのように、住む場所(ライブをする場所)を失った僕らは、ブレーメンという音楽イベントを

・継続するか

・やめるか

という2択を迫られることになりました。

そして、悩んだ結果。僕らはライブ会場を変えてブレーメンを継続開催することを決意。

と言っても、ライブをさせていただけるお店にあてがあった訳ではなかったので、

ひとまず、ハガクレのような落ち着く場所が見つかるまで、毎月会場を変えながらライブイベントを継続していくことにしました。

その頃、ライブを開催させていただいたお店は、ライブハウスやライブバーだけではなく、

・ラーメン屋さん
・お好み焼き屋さん
・イタリアンレストラン
・カレー屋さん
・喫茶店 などなど

普段ならライブなんて絶対にしないようなお店でも、

自分たちで、いろんなお店を食べ歩いては、素敵な雰囲気のお店を見つけるたびに「ここでライブをさせてください!」と交渉をして、ライブ会場を確保していました。

(こうして、叩き上げでゼロからイベント主催をし、プロデュースをしてきたという経験は、パラレルワーカーとしての今の僕の働き方にも確実にいきています。)

「アコースティックギター1本あれば、場所は選ばない。」

という僕らのアコースティックイベント開催スタイルと、毎月ライブイベントを開催し続ける!という勢いは、どうやら真新しさがあったようで、少しずつ口コミで「ブレーメン」の名前が広がっていきました。

その結果、最初は15人もお客さんが入れば、ギュウギュウの満員電車状態になってしまうような、小さなお店で開催してきたブレーメンは、

毎年1度、アコースティックフェスまで開催させていただけるようになり、2014年には岩手県公会堂で、100人キャパの大きなライブイベントを行うことにも成功しました。

ちなみに、そのときの様子がこちらです。

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「会場を変えながら、毎月1度アコースティックライブをする。」

というブレーメンの運営スタイルは、約2年ほど続きました。

しかしその後、共同主催者だった菅野創一朗が音楽で勝負することを決意し、上京したことをきっかけに、月一回の開催スタイルは終了。

そこからは、毎年1回の開催頻度になり、約10年間継続的に開催してきました。(2020年で一旦終了)

結局僕らブレーメンは、ハガクレの次にどこか新しく新天地になるようなお店(場所)にたどり着くことはありませんでしたが、

自分たちが自らの手で創り上げたブレーメンというイベントそのものが、もはや、僕らにとっての「場所」になっていたし、

そんな“場づくりができる自分たち”も、手に入れることが出来ました。

「場所を求めていたつもりが、実は最初からたどり着いていた」だなんて、なんだか不思議な感覚だったけれど、

10年間歩みを進めてきたからこそ、体感することができた嬉しい経験だったと感じています。

多くの仲間たち、応援してくださったファンの皆さんの存在があったからこそ、10年もの間走り続けることができたブレーメンは、

僕に、「誰かと協力することの大切さ」や、「人を大切にすることで広がる可能性がある」ということを学ばせてくれました。

音楽イベントって、自分1人の力だけじゃ、絶対に成り立たないんですよ。

だからこそ、必然的に「協力」を学べる機会になった。

ブレーメンは、ミュージシャンとしての僕が成長できた音楽イベントでもありましたが、

同時に、嫌われ者だった僕の心に、仲間を想い、上を向いて歩き始めるきっかけをくれた音楽イベントでもありました。

介護士とシンガーソングライター。2人の“僕”

僕は、毎月音楽イベント「ブレーメン」の主催を務めたり、シンガーソングライターとして活動していた側、介護士としてデイサービス(通所型介護サービス)でも働いていました。

当時の僕は、

「音楽と介護は、どっちが本業なの?」

なんて聞かれる度に、お給料が発生していたのは介護の仕事だったから「本業は介護だよ」と答えていましたが、

本音では「おれは、ミュージシャンだ」って言いたかったんですよね。

僕は今、パラレルワーカーとして、様々なお仕事をしながら暮らしていますが、今だに音楽からの収入は一番少ない状態です。

それでもやっぱり、「おれは、ミュージシャンだ」っていうのが一番しっくり来るから、今では様々ある肩書きの中でも「ミュージシャン」という名前を真っ先に使うようにしています。

ただ、20代の頃の僕は世間体を気にして、稼げていないという理由だけから「ミュージシャン」という職業名を名乗ることに抵抗があり、常に自分の本音を押し殺すように暮らしていました。

すると、どうなってしまったのか、というと。。

介護の仕事をしているときは、「俺はミュージシャンだから、介護の仕事は適当で良い」

ミュージシャンをしているときは、「俺は介護で飯を食っているから、ミュージシャン活動はまだ本気じゃなくて良い」

みたいな、不のループに入ってしまったんですよね。

どっちも大切だったはずなのに、どっちも中途半端。もう、なんて情けない。。

そんな状態で、物事が上手く行くはずもなく…

でもあるとき、「あれ?二項対立で考えなくても良く無いか?全部“僕”だろう?」と気づく瞬間があったんです。

それまでは別々の“僕”と捉えてしまっていた自分を

「介護士の僕+ミュージシャンの僕=僕」

と捉えられるようになったときに、スーーっと肩の力が抜けていきました。

まるで、分散していた自分の力が、一箇所にまとまったかのような不思議な感覚。

その感覚になれた理由は、自分の気持ちに、素直になれたからだったのかもしれません。

そして、そのときに初めて10年間の介護経験をテーマに作った曲があります。

「あなた」という曲です。

この「あなた」という曲は、僕と同じ「介護」に生きる方々から、多くの反響を頂きました。

介護士をしているミュージシャンの方が、カバーをしてくださったり…

とある団体が、「あなた」をテーマソングにして下さったり…

自分でもびっくりするほどのご縁を、「あなた」という曲から頂きました。

そして、そんな嬉しいご縁からの繋がりで、僕には新しい「夢」が生まれました。

その夢のお話と、「あなた」という曲が紡いでくれた、奇跡のような出会いの数々に関するお話は、また次の機会にお話をさせていただきますね♪

今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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