前回の「こうして僕はフリーランスになった①おばあちゃんとの出会い編」では、僕がケアマネジャー(介護職)から、複業で「ブログ」に出会うまでの流れをお話しさせていただきました。
そして今回は、僕が「ブログ」と出会った約1年後に、年商1000万円を達成したときのお話し。
なぜ、ビジネス経験が全くなかった僕が、約1年間という短期間で大きな収入を得ることができたのか?
そして、それによりどんな心境の変化があったのか?
ということについて、赤裸々にお話しさせていただきます。
前回の記事はこちらからご覧いただけます
複業ブログ開始約1年後に年商1000万円を達成した話
冒頭でもお話ししたとおり、僕はケアマネジャー(介護職)時代に複業として始めたブログがきっかけとなり、約1年後には、年商1000万円を達成することができました。
「元々は、ビジネスの“ビ”の字もわからなかった僕が、たった1年で1000万円も稼いでしまった。」
という出来事は、あまりにも衝撃的すぎたので、きっと僕は、あの一年のことを一生忘れないと思います。
で、この話をすると、
いったい何をしたら、たった1年で年商1000万円を稼げるんですか?
と聞かれることがよくあるので、まずは、僕がどんな一年を過ごしたのか?という流れをご紹介します。
上記のような一年を過ごした結果、僕はビジネス経験ゼロから、約1年後に年商1000万円を稼ぐことができました。
決して楽な一年ではなかったし、生きるために「稼ぐ」をしなければいけないと思い込んでいた「必死な一年」でした。
もう少し具体的なお話をさせていただきますね!
人生を変えてくれた「長男の誕生」
「いつか、本気で何かに挑戦してみたい!」と思っていた20代の頃。
僕の人生に転機が訪れたのは27歳のときでした。
きっかけは、「長男の誕生」と「新築」を建てたこと。
「子育て」と「家のローン返済」という現実が目の前に現れたとき、はじめて「稼ぎたい」と思うようになりました。
当時、ケアマネジャーとして働いていた僕の給料は、手取りで19万円ほど。
残業もない職場だったので、それ以上に収入がほしいなら、「別の方法」で収入を得るしかありませんでした。
そこで、株やFX、仮想通貨などの副業に挑戦!
でも、どれも全然上手くいかなくて、あっという間に挫折…
そして、最終的に辿り着いたのが“ブログ”だったんですよね。
とはいえ、ブログも実際にやってみると、何をどこからどんな順番で取り組めば良いのかが全く分からなくて、お恥ずかしながら、たった2ヶ月で挫折してしまったんです。
人生を変えたい!だけど、何をどうしたら良いのかが分からない。
という状況は、かなりもどかしく、悔しい、情けない想いを重ねた時期でした。
でも、そこで諦めたくなかった僕は、ネットで「ブログの稼ぎ方」を教えてくださる方を探し出し、その方の下に弟子入りすることを決意しました。
これが、2018年3月頃のこと。
はじめて自分のお金を使って、「学び」に大きな金額を支払い、自己投資を経験したできごとでした。
サイコパスおばさんのおかげでフリーランスへ
2018年4月。僕がブログの師匠の教えの下で、本格的に複業ブログを始めた翌月のこと。
僕は、職場の人間間関係に悩み「うつ症状」という診断書をもらいました。
きっかけは、「サイコパスおばさん」というあだ名をつけられていたお局さんと、仲違いをしてしまったこと。
サイコパスおばさんに目をつけられた人は、ストレスを抱えてどんどん職場を去っていたんですが、ついに僕の番が来てしまったんですよね。
会社に行くのが怖くて、出勤をしようとするだけでも足が震え、立っているのがやっとという状況でした。
そこから、2ヶ月は頑張って出勤したんですが、とうとう心と身体に限界が来たため会社を退職。
当時働いていた職場は大好きだったし、介護という仕事からも離れたくなかった。
だけど、「職場に行く」という行為自体がトラウマになってしまった僕は、職場を変えて介護職を続ける。という選択はできませんした(したくなかった)。
そこで、その頃には月収5万円ほどの収入を得られるようになっていた“ブログ”に、全てをかけてみることを決意。
たった5万円しか収入が発生していないブログで、フリーランスとしての活動を始めるだなんて、怖くて怖くてしかたなかったし、
元々フリーランスになろうと思っていた訳じゃなかったから、起業するための準備なんて一つもしていなかったけど、人間関係から距離を置きたかった当時の僕には、家で働ける「ブログ」の働き方が、唯一の希望の光に見えました。
でも、お恥ずかしなたら、起業資金どころか貯金もほぼゼロ。
起業に関する知識もゼロ。
ゼロばっかりで、ほんとに右も左もわからなかったし、まるでいきなり暗闇に落ちてしまったような気分になりました。
でも、新築で建てたばかりの家のローン返済はあるわ、生後半年の長男もいるわで、目の前には「やるしかない」状況があったんですよね。
まさに「背水の陣」といった感じ。
そこからガムシャラにブログに取り組んだ結果、フリーランスになった翌月には、月収15万円ほどを稼げるようになり、なんとか食い繋ぐことができました。
会社員として「給料」という形でしか、「お金」を受け取ったことがなかった僕にとって、自分の力で0からブログで生み出した「お金」は特別なものだったし、「お金を生み出せる自分」に出会えたことで、大きな自信も得ることができました。
振り返ってみれば、会社員から→フリーランスという世界に飛び込むのは本当に怖いことだったけど、
「いつか何かに挑戦したい」という想いをずっと抱えたまま燻っていた僕にとって、「やってよかった」と思えるチャレンジだったなと思っています。
だから、ある意味では、あのサイコパスおばさんには、感謝なんですよね。
だって、サイコパスおばさんに出会っていなければ、きっと今でも「いつか挑戦したい」のまま“いつか”を先送りにしていたと思うから。
とはいえ。背中を押してくれるなら、もっと優しく押してほしかった。というのが本音ですけどね。(笑)
ちなみに、僕の「うつ症状」は、フリーランスになった直後、あっという間に治りました。(薬すら1回も飲まなかった)
うつ向いている暇なんてないほど、生きることに必死だったから。ということもあるけど、たぶん「いつか挑戦したい」と思っていたことに、挑戦できている毎日には充実感を感じていたからなんだと思います。
しばらくの間、会社を辞めた理由をサイコパスおばさんの“せい”にして来たけど、今では“おかげ”とさえ思っています。
むしろ、「いつか何かに挑戦したい」という僕の想いを叶えるために、サイコパスおばさんを使ってしまった。というところもあったんじゃないかな?と。
なんにせよ、2018年〜2019年は、僕の人生に大きな変化が起きた一年でした。
教わる→教えるに挑戦!そして、葛藤のはじまり。
2018年の夏。
ブログの師匠の下でブログに取り組んで来た僕は、ある程度ブログで実績を出すことができたので、今度は「教わる側」→「教える側」にも挑戦することに“なりました”。
この「挑戦することに“しました”。」じゃなくて、「挑戦することに“なりました”。」というところがポイント。
自分の人生の選択は、自分で選んでするべきだったのに・・・
3年間に及ぶ「働き方」との葛藤のはじまり
当時僕は、お世話になっていた師匠が運営するスクールに所属していたんですが、そのスクールの指導方針が、
いう流れだったんですね。
同じ環境にいる方々も上記の流れでステップアップしていく様子を見ていたので、「あぁ、そういうもんなんだ」と思っていました。
まるで、会社に入ったばかりの新人が、先輩の背中を見ながら、自分の未来の姿を想像するのと同じように。
でも、今思えば、自分の人生の選択は、もっと自分の頭でよく考えてからするべきだったなと思います。
というのも、「ブログの稼ぎ方を教えるビジネス」って、世間一般的には「ネットビジネス」と呼ばれる分野に分類されている働き方なので、世間体があまりよくない働き方だったからなんです。
いわゆる“怪しい系”に分類されやすいタイプの働き方。
でも、当時の僕は、自分が今からやろうとしていることが、“怪しい系”と呼ばれる分野に分類されやすい働き方であることを、全く知りませんでした。
だって僕の師匠は良い人だったし、周りにいた仲間たちも素敵な方ばかりだったから。
それが世間一般的には“怪しい系”に分類される働き方だなんて、1mmも怪しまなかったんです。
それに当時の僕は、会社員からフリーランスになったばかりだったので、毎日「稼ぐこと」に必死。正直、かなり焦っていました。
だから、「稼げるから」という理由だけで、安易に「働き方」を選んでしまったんですよね。
自分がその仕事を選ぶことで、世間からはどう見られるのか?どんな未来が待っているのか?をよく調べ、知った上で、選んでいたならよかったんだと思います。
でも、目先の成果から選んでしまった選択だったので、その後の僕は、約3年にもわたって「働き方」と“葛藤”をする日々を過ごすことになります。
もちろんこのときの僕には、そんな未来が訪れることを、まだ知るよしもありませんでしたが…
開始4ヶ月で月収7桁を突破!
「稼げるから」という理由ではじめた、「ブログの稼ぎ方を教えるビジネス」は、ちゃんと稼げました。
元々ビジネスの「ビ」の字もわからなかった僕にでも、集客を開始したたった4ヶ月後には、月7桁もの売上を出すことができちゃったくらいです。
このときは正直、「人生の成功法則を手に入れた」くらいの、盛大な勘違いをしていましたね。
「成功しても天狗にはならないぞ」と決めていたものの、たぶん、ちゃ〜んと天狗になっていたんじゃないかなって思います。
だって、会社員として手取りで月19万円ほどしかもらったことがなかった人間が、いきなり月100万円を超える収入を手にしてしまったんです。
あまりにも、刺激的すぎるできごとでした。
でも、「月100万円を稼げるようになった」とはいえ、毎月安定的に100万円が稼げた訳ではありません。
月100万円稼げる月もあれば、月0円の月もあって、まるでジェットコースターに乗り続けているような精神状態で過ごしていました。
この「収入の不安定さ」が、本当に怖くて。
毎月「給料」という形で決まったお金が入って来る、会社員の働き方が懐かしく、うらやましく感じました。
ただ、内心はそんなボロボロの状況なのに「稼ぎ方を教る」を仕事にしているもんだから、「稼いでいる」という雰囲気を出さなきゃいけないような気がしてしまい、表では見栄を貼って、自分を必要以上に大きく見せるような発信をしていました。
等身大の自分以上の発信をしていたこの頃は、本当に辛かった。
だって、自分がまだ「成功」を手にしていないのに、「成功するためには?」みたいなことを発信しなければいけなかったんですもん。
もうね、、ほんとダサすぎるし、情けなさすぎる。
何やってんだ俺って感じ。
ただ、何度も言いますが、当時の僕は稼がなきゃいけない状況(と思い込んでいた)だったので、生きるために「稼ぐ」に必死だったんですよね。
その結果、売上だけはちゃんと伸びていき、最大で月に900万円ほどの収入を手にすることもできました。
これが、僕がブログを始めた約1年後に、年商1000万円を達成した流れです。
「稼ぐこと」を目標にして行動しまくってきた1年だったから、目標が達成されたときは嬉しかった。
だけど、稼いでしまった金額と、自分が今いるステージに大きな差があるような気がして、手にした1000万円という金額に対する「怖さ」を強く感じていました。
とはいえ、1000万円という大きな金額を手にできたことで、ようやく少しだけ「稼ぐ」への焦りが減り、自分の「本音」と向き合う余裕を持てるようになったのもこの頃のこと。
「約1年で、年商1000万円を稼いだしまった」
という経験は、僕の中に大きな「自信」と「勘違い」を作りました。
そして、この「自信」と「勘違い」から来る葛藤の日々の結果。
僕はこの後、稼いだ1000万円を使い果たし、3年間もの間、迷走して行くことになります…
いうなれば「自分との戦い」の時期。
次回の記事では、僕の迷走時代「自分との戦い編」をお送りしていきます。